※本記事はネタバレを含みます。
(あらすじ)
剣聖・葦名一心を倒した。
エンディング分岐
一心を倒して九郎のもとに駆け寄ると、九郎に何を飲ますかという選択肢が出ます。
ここで大きく次のような3つのエンディングに分かれる。
・竜の涙→不死断ちエンド
・竜の涙+常桜の花→人返りエンド
・竜の涙+氷涙→竜の帰郷エンド
もう1つ、修羅エンドというのがありますが、これは葦名城の梟戦前の選択肢で分岐します。
一応、4つすべてのエンディングを見たので、各エンディングの感想などを紹介していきたいと思います。
不死断ちエンド
「竜の涙」だけをそのまま飲ませた場合、不死断ちエンドとなる。
もっともノーマルというか、もっとも多くの人がたどり着いたと思われるエンディングですかね。
不死断ちエンドでは、「不死断ち」すなわち、不死斬りで九郎の不死を断つことによって竜胤を断つことになります。
九郎
「我が生涯の忍びよ」
狼が赤の不死斬りで九郎にとどめを刺そうとすると、九郎が声をかけてくる。
九郎
「不死断ちを、お願いできますか」
狼の心情を察したのか(いや、察したに違いない)、九郎は刀の切っ先を握り返し、不死断ちを請います。
やばい、これ書きながら泣きそうなんだが…。
ところで、このシーンを覚えてますでしょうか?
「SEKIRO」の冒頭で流れるムービーシーンの一節。
幼き頃の狼が、戦場で出会った梟と親子の契りを交わす場面です。
梟が向けた刀の切っ先を狼が握り返すという印象的なシーン。
このシーンと対応させると、狼は九郎の「義父」とも言えるのかもしれません。
刃を突き刺したときの乾いた音が何とも言えない人の世のはかなさを感じてしまう…。
落日と重ね合わせるように狼たちを配置する演出が何とも憎い。
場面変わって、荒れ寺。
狼さん、ついに仏師になる…。
エマ
「これは、やはり貴方が持っていてください」
「また、新しい忍びが」
「力を求めるときがくるでしょう」
結局、エマって謎の人物だったよなぁ。
そもそもなんでこの人だけ名前がカタカナなんだよ。
エマが差し出したのは義手忍具。
というか、「左腕」を失う忍びが再び現れることが前提なのですね…。
なぜそんなに左腕を切り落とす奴が頻出するのか。
桜竜にも左腕がないし、「左腕」には物語の核心を突く何か重大な意味があるはずなんです。
ちなみに、神道では、左手が神(陽・上方)、右手が人(陰・下方)を意味するのだそうです。
左腕を失うというのは、神を失う、すなわち別の宗教(仏教)に移行するということなのだろうか。
現に、狼が彫っているのは「仏像」なわけですから。
このああたりはDLCで補完してほしいんだけど、結局出ないんかなDLC…。
人返りエンド
狼
「最後の不死を、成敗いたす」
「人として、生きてくだされ」
「竜の涙」と「常桜の花」を九郎に飲ませると、人返りエンドとなります。
「常桜の花」の入手が難しく、おそらくもっとも難易度の高いエンディングではないでしょうか。
狼は不死斬りを九郎に向けるのではなく、「最後の不死」つまり自分自身に向けます。
竜胤と契りを交わした者が犠牲となることで、九郎が人に返ることができるというわけです。
噴き出す血とともに舞い散る桜の花びら。
ものすごく意味深な描写。
あたかも、狼の血液が桜の花びらに変化したかのようにも見えます。
ところで、こんなのもありましたっけ。
お蝶を倒したときにもらった「桜雫」です。
不死の契約が成らざるときに引き換えに残るという桜色の結晶。
不死の契りというのは「桜色の何か」を注入する作業なんですかね。
「桜(の花びら)」というのは、「生」そのものの暗喩なのかな。
回生するときにも桜の花びらが舞いますし。
それから、今頃気づきましたが、この桜雫はもともとは丈の竜胤が起源です。
巴は丈と不死の契りを交わしているので、巴とお蝶の間には何らかの抗争があったりしたのかもしませんね。
九郎
「私も、人として懸命に生き」
「そして、死のうと思います」
「我が忍びが、そうしてくれたように…」
エマと九郎が狼の墓参りに来ている。
そして、九郎が旅立って終わりです。
この後の人としての人生を歩む九郎君の行く末が案じられて仕方ありません。
竜の帰郷エンド
狼
「参りましょう、我が御子」
「竜の涙」と「氷涙」を一緒に飲ますと、竜の帰郷エンドとなる。
狼は御子を抱きかかえながら、落日を眺める。
それすなわち「西」の方角ですな。
変若の御子
「私の心に留まってください」
ところ変わって仙峯寺。
変若の御子の中に九郎が吸収される。
変若の御子
「…参りましょう」
「西に。神なる竜の故郷に…」
ということで、変若の御子とともに狼も一緒に旅立って終わりです。
心なしか、変若の御子のお腹が大きくなったような気がするが、気のせいか?
主要な人物が誰も死なないという点では、竜の帰郷エンドがもっともハッピーエンドですね。
修羅エンド
大忍び・梟とのボス戦になる前の選択肢で「掟に従い、御子を捨てる」を選ぶと物語のルートが大きく変更されて修羅エンドへと向かいます。
この場合、源の宮に向かうことなく、このままラスボス戦を迎えます。
梟
「これはこれは、物騒なお客人じゃ」
ラスボスの1人として、エマさん登場。
刀に手をかけ、穏やかじゃないですねぇ。
エマ
「私はかつて、修羅を見ました」
「貴方の中にも、同じものがいる」
「それを、斬らねばなりません」
なんでエマさんと戦闘になるかというと、狼の中に修羅の兆しがあるからそれを斬らねばならんというエマの使命感なわけですね。
エマがかつて見た「修羅」というのはもちろん仏師のことです。
エマはもともと、仏師によって戦場で拾われた子でした(その後、道玄の養子となる)。
エマにとって、仏師は義父のようなものだったのかもしれず、仏師が修羅となり果てたときにはそれをごく近くで見ていたはずなんですね。
なので、エマには仏師と狼とが重なって見えているはずです。
エマに勝利すると、ラスボスの一心オジサン登場。
修羅となった仏師の左腕を切り落としたのが一心でした。
一心のエマへの思いを考慮すると、一心はどんな思いで仏師の左腕を切り落としたのか。
あらためて考えると深いな。
梟
「この国ごと喰ろうてくれるわ!」
一心戦に勝利すると、梟は野心むき出しで葦名征服に名乗りを上げます。
ちなみに、梟が右手に持っているのは「黒の不死斬り」です。
一体どこから持ち出してきたのか不明ですが、おそらく狼がエマと戦っている間に弦一郎から奪ってきたのだと思われます。
ところがどっこい、梟さんの天下も束の間。
自慢の倅に背後から刺されてしまい、あっけない最期を迎えます。
3年前の平田屋敷のリベンジというわけですね。
九郎
「そなたは、修羅ではない…っ」
九郎の必死の呼びかけもむなしく、狼は修羅となってしまいます。
梟
「我、薄井右近左…」
ここで重要なこと。
梟が狼に刺される直前、梟が自分の本当の名前を口にします。
彼の本当の名前は「薄井」というようです。
この「薄井」という名前ですが、実はすでに登場していました。
「霧がらすの羽」のテキストを読むと、
葦名より北に離れた薄井の森には、正体の掴めぬ猛禽が棲む
とある。
猛禽とはフクロウそのものですので、実はこのときにすでにネタバレしてたんですね(まったく気づかなかったよ)。
また、「まぼろしクナイ」にも薄井の森についての記述が見られます。
うら若き頃、お蝶は、葦名より北に離れた薄井の森にて修行を積んだ
彼の森は、霧とまぼろしで満ちている
「霧とまぼろしで満ちている」とされていることから、葦名より北に離れた森というのはおそらく水生村へと続いている「隠し森」のことだと思われます。
梟の薄井一族はもともとあの一帯の野党を束ねる棟梁のような一族だったのかもしれない。
そうしたことから考えて、薄井一族は竜胤や変若水の力について自然と知識をもつようになっていったというところでしょうかね。
そういえば、水生村では、籠かぶりの正助から村の鼻つまみ者・犬彦の話を聞かされますが、それももしかしたら薄井氏と関係があったのかもしれないですね。
あるいは、仙郷へと向かう丈を案内したりしたのかもしれない。
お蝶と丈はそのときに接点ができたとか?
結び
ということで、ここまでお読みいただきありがとうございました。
一応、「SEKIRO」のプレイ日記としては今回が最終回となります。
結局、問題提起だけで終わってしまっていて、十分に考察しきれていないところもけっこうあったかと思いますが、限られた時間で記事を書いているのでどうかご容赦ください。
このゲームの場合、記事を実際に書いている時間よりも、いろいろと調べごとをしている時間のほうが長かったりするもので…。
DLCが出ればもちろん続きを書きますが、先日のE3の感じだと、どうもDLCはなさそうな感じですねぇ(残念!)。
それではみなさん、別の記事でまたお会いしましょう。