攻略の塔  


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エンディングについて

新たな王となったシックス

レディには魔術とも思われる特別な力があった。また、レディはゲストたちを洗脳し操ることによって異常な食事をさせ、そこから力を得ていたと思われる。最後、シックスはレディを食すことにより、レディのこの強大な闇のエネルギーを吸収する。ゲストたちが陣取る食堂をシックスが歩いて行くと、ゲストたちからも闇のエネルギーを吸収していく。そして、闇のエネルギーを吸収されたゲストはそこで果ててしまう。そして闇の力をまとったシックスはモウの新たな支配者であり、同時に新たな預言者(蠅の王)でもある。
黒い霧


王を見送るノームたち

目の印のある扉が開き、神々しいまでの光が差し込む。その光に向かって階段をあがっていくシックスをノームたちが見送る。このとき現れるノームの数はそれまでにハグしたノームの数である。chapter4でシックスの餌食となったノームは数えないので、最大で12匹となる。12という数字はキリストの12人の弟子である「12使徒」を想像させる。シックスはキリストの暗喩なのか?
エンディング


シックスによる贖罪

キリスト教では「すべての人間は生まれながらにして罪を背負っている」と考えられている。そして、キリストが全人類の罪を身代わりとして背負い十字架にかけられた(処刑された)ため、人類の罪は許されたと考える。これがキリストの贖罪(しょくざい)の精神である。


罪は子供達の中にももちろん存在する。ゴールディングの「蠅の王」はまさしくそのことをテーマに描かれた小説である。この小説では、無人島に流れ着いた無垢な少年たちが閉塞した環境の中で次第に暴力性に目覚めていく様が描かれている。そしてこの小説の中での原罪の象徴として描かれるのが豚の頭部として登場する「蠅の王」なのである。小説の中で、サイモンという名の少年は蠅の王から次の話をされる。

「おまえはそのことを知ってたのじゃないのか?わたしはおまえたちの一部なんだよ。おまえたちのずっと奥のほういるんだよ?どうして何もかもだめなのか、どうして今のようになってしまったのか、それはみんなわたしのせいなんだよ。」(新潮文庫「蠅の王」p245より引用)

この小説において「蠅の王」というのはキリスト教で言うところの「原罪」の暗喩である。小説内の少年たちと同様に、シックスの中にももちろん原罪は存在するはずだ。このゲームの場合、その罪は「飢え」という形で現れ、パン→肉→ネズミ→ノーム→レディというように次第に暴力性を増し露骨な形をとっていくことになる。


ゲームのエンディングにおいて、シックスは闇のエネルギーをレディやゲストたちから吸い出して自らの身にまとう。ここでいう「闇のエネルギー」というのはまさしく人間の原罪そのもののように見える。ゲストたちの「暴食」は7つの大罪に数えられる罪の1つである。食べては吐いてを繰り返すゲストたちはまさしく暴食という名の罪を犯す罪人たちである。ゲストは「罪を重ねる」ことが役割であり、ゲストが生み出した罪をモウの原動力に変えているのがレディなのだと考えられる。モウの外観イメージを見ると、モウのてっぺんの煙突のような構造物からは黒い煙が黙々と吐き出されているが、この煙はゲストたちが子供の肉を食べまくるという大罪によって生み出されたものだ。


最終的にシックスを取り囲む闇のエネルギーは、外への扉が開かれる前に消えてしまう。そして、光に包まれながら階段をのぼるシックスは神々しくもある。シックスはキリストがそうしたのと同じように、自らが彼らの罪を背負うことによってモウを浄化したのではないか。その証拠に、エンドロール後のモウの煙突からは黒い煙が消えている。


ノームのその後

シックスを見送るノームたちはシックスに従う者たちである。
以下はキリストの言葉である。

「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」

ノームは本来、闇の住人であるが、シックスにより光の住人となったと考えれる。「ノームはよそ者と友好関係を築くと長生きできない」とされているのは、人間としての命を持つようになり「寿命」が与えられるという意味なのかもしれない。


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